スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

                拍手する
仕事のやり方を改善したいならここをクリック!
blog用Prove2           
業務改革パートナー!! プルーブ


和太鼓の魅力を感じたいならここをクリック!
blog用JDMS1
心に響く和太鼓音楽集団!! 佐倉太鼓衆

今を生きる

今を生きるという事の大切さを実感している方も多いと思います。

かつてこんな邦題の付いた洋画もヒットしたことがありました。


でも具体的には、どういう行動をしたらいいのでしょうか?

今だけを大切にしていたら、未来がおかしくなってしまう心配もあります。

しかし「今も」「未来も」大切にするんだと、それでは何か当たり前過ぎて「今を生きる」ことがきちんと理解できていないような・・・


そもそも「今を生きる」とは、

大切な今を知らず知らずに無為に過ごし、
のちに振り返った時に後悔してしまう悲しさを味あわないため

のアドバイスだと思います。


とっても大切な考え方だと思います。


でも一体どうしたら「今を生きる」ことになるのでしょうか?




(続きはこちらへ・・・)



                拍手する
仕事のやり方を改善したいならここをクリック!
blog用Prove2           
業務改革パートナー!! プルーブ


和太鼓の魅力を感じたいならここをクリック!
blog用JDMS1
心に響く和太鼓音楽集団!! 佐倉太鼓衆

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

コメント

良かった

あー、良かった。へへ;;

MT車仲間だって教えてもらったし。
絶対、治して、あの車でドライブしたいし。うん!

また覗きに来れるようにお計らいいただいたし、って
甘やかされていますね。私。(^^;;

ありがとうございます。

Re: お気遣い、ありがとうございます。

coosouanさん、おはようございます。(^^)


> 基本、私、脳天気ですから。大丈夫です。(^^;;

よかった。そう言ってもらえると安心します。ε=( ̄。 ̄;)


> なのに、失礼な言い方になってしまいます。
> 思いのまま、素直に書かせていただきます。
> お許しくださいませ。

いいえ、どういたしまして。
文字だけのやりとりだと、
いろいろな面で一方的な部分が混ざってしまったりして難しいですよね。

自分で書く文も、受け取る文もその辺を踏まえるように心掛けているので
大丈夫ですよ、たぶん。( ̄▽ ̄;)


> 私の言った「生へ執着が希薄」ですが、言い換えれば「死の恐怖心が希薄」です。

そうでしたか。
これで、随分とニュアンスが変わりますね。

もちろん、嬉しい方向にですが。


> 14歳の時に4年闘病した母を亡くし、
> 20歳の時に高校の親友が自殺し、
> 23歳の時にカレ(婚約者)を交通事故で亡くしました。

これまで、随分とたくさんの辛い死に向かい合われてきた。
死というものを身近に感じないではいられませんね。


> 私にとって、「満足な死に方」とは?があり、
> 漠然と「笑みを浮かべながら棺おけに入る」ことだと。

同感です。
顔が笑っているかどうかは別として、
心の中に安らかさと満足感を抱いて棺に入りたいですね。


> そのためには、・・・、
> “死”を覚悟した・準備した生き方、日々の生活だと考えました。

これも同感。
後ほどのブログに書こうと思いますが、私は
「よりよい死に向かって生きる」
という表現をしているんですよ。


> ただ、この数年、親友とカレの死がやはり無念で、
> 知らず知らず、意地を張って、少し自然な心では
> 歩んでこれなかった部分もあったなぁー。と今回気付きました。

よかったですねぇ。
本当によかった。

この気付きは、coosouanさんの人生に
きっと、とても素敵な影響を呼んでくれますよ。


> #親友やカレの事が忘れられない。とかではないですよ。
> #うーん、微妙ですが、ちょっとニュアンスが違うんです。

わかりたいと思います。(^o^)


> これからは、仕事も恋愛も自然体で。と思っています。
> #恋愛については、確かに私の後遺症と、それに、なによりお相手も
> #必要になってきますので・・、なんともですが。(苦笑)

そう。
妙に片意地張って生きるのは疲れる割に、満足感が小さいと思います。
自然体がいいですね。

回りの目や、他人の評価に自分の行動を依存することなく、
自分らしく生きて輝けることが幸せを掴むコツだと思いますよ。

輝きが明るかろうが、淡かろうがいいんです。
輝いている実感がフィードバックされていると感じた時、至福が訪れます。

恋愛、ですか?(^^)
これも自然体で。

今を生きて輝いている人には、相応しい出会いがやってきますって。ヽ(^^
まだまだ若いんだから、いくらでも機会が来ますよ。


> 『今を生きる』、「今、生きている」から感じらることで、
> 同時に切実に“死”を受け入れてなければ、“今”を切実に実感できない。

そうですね。
死を意識してこそ、生や今をより意識することができるのだと思います。


> sugimotomさんの記事に書かれている事と、私の差異は、
> 「死の恐怖」があるのか・無いのか、の違いでは?
> と思ったからです。
> あるのか・無いのか。ではなく、恐怖が大きいか・小さいか。ですね。(失礼)

きっと、もうひとつ言いたかったですよね?
どれくらい身近に「死」を感じているかということもじゃないのかな?

たぶんね、死を強く身近に感じた時に、
「恐怖」を感じる人と
「未練」を感じる人、
そして「死を受け入れる」ことを決める人
の3人のどれかの反応をするのではないでしょうか?

恐怖を感じる人は、死んだ後のことが気になる人。
未練を感じる人は、この世に守りたい人ややり残したことを抱えている人。
受容するする人は、「全てをやり尽くした感」がある人か、生きることに消耗してしまった人。

死というものを見つめると、いろいろなものが見えてきますね。


> それを、知らぬうちに、sugimotomさん にお聞きしてしまったのかなぁ?と。

私のブログをノックしてくれてどうもありがとう。
これも「縁」ですね。


> なんだか、sugimotomさんのブログに、
> 喧嘩を売っているような事になってしまい・・。
> そんな気は、本当にないんですが。

大丈夫。十分わかっています。ヽ(^^


> #本当に、たまにコメントすると、これですから・・。
> #でも、sugimotomさんのブログ、
> #すーっと通り過ぎていけるブログじゃなかったんです。
> #これだけは、ご理解くださいませ。

そんな風に思っていただいて、どうもありがとうございました。
気を悪くするどころか、嬉しかったですよ。(^^)


> #ちなみに、私も大学は工学部です。
> #上手く言えませんが、sugimotomさんも理系の方かなぁ?
> #が初めてブログを拝見した時の印象でした。

そうでしたか。
coosouanさんも理系を専攻されたんですね。
ブログ文を見ただけで同じ匂いを嗅ぎ取るなんて、感受性が豊かなんですね。

まぁ、私が単純明快な人間と言うことかも知れませんが・・・(,,-_-)


> #遅ればせながら、少し自分を晒したブログをはじめました。

コメント書きかけのまま、今ワープして戻ってきました。
coosouanさんのことがほんの少しだけ理解できた気がしました。

大分回復してきたみたいで。
もう少しですね。


・・・3年前の春、同い年のいとこがくも膜下で無くなりました。
朝の5時のことでした。
大阪支店長への栄転が新聞に発表されたばかりだというのに。
前年の従兄弟会で会ったのが最後になってしまいました。

coosouanさん、必ず治って下さいね。

お気遣い、ありがとうございます。

sugimotomさん、レスありがとうございます。

また、私の情報がないなか、本当に色々な、また暖かいお気遣い
ありがとうございます。

基本、私、脳天気ですから。大丈夫です。(^^;;


なのに、失礼な言い方になってしまいます。
思いのまま、素直に書かせていただきます。
お許しくださいませ。

『今を生きる』・・「生」を語れば、「死」を語らざるを得ない。
と『今を生きる』とい言う命題から感じました。

私の「生”への執着心は希薄」は、ある意味引っ掛けです。失礼。<(_ _)>

#悪意があった訳ではありません。決して。
 
私の言った「生へ執着が希薄」ですが、言い換えれば「死の恐怖心が希薄」です。
やはり、表裏一体だと感じます。

私・・、
14歳の時に4年闘病した母を亡くし、
20歳の時に高校の親友が自殺し、
23歳の時にカレ(婚約者)を交通事故で亡くしました。

#自慢している訳でも、だから何でも発言できる的な、ものではありません。
#ご理解くださいませ。

母が亡くなった時から、ある意味“死”を 当たり前に 考えるようになりました。

#正確には、「母が亡くなった時」ではなく 母の闘病中です。

それと、同時に・・、
私にとって、「満足な死に方」とは?があり、
漠然と「笑みを浮かべながら棺おけに入る」ことだと。

そのためには、・・・、
“死”を覚悟した・準備した生き方、日々の生活だと考えました。
中学生の時です。以降、私なりに日々を覚悟を持って歩いてきました。

“生”については、高校時代に持った仕事に対する志、
彼と語り合った人生観と夢(二人の。じゃなく)
を忘れずに、胸を張って生きて行こうと思っています。

これだけでも、結構面白く、おかしく日々を送れるものですよ。

ただ、この数年、親友とカレの死がやはり無念で、
知らず知らず、意地を張って、少し自然な心では
歩んでこれなかった部分もあったなぁー。と今回気付きました。

#親友やカレの事が忘れられない。とかではないですよ。
#うーん、微妙ですが、ちょっとニュアンスが違うんです。

これからは、仕事も恋愛も自然体で。と思っています。
#恋愛については、確かに私の後遺症と、それに、なによりお相手も
#必要になってきますので・・、なんともですが。(苦笑)


何が言いたいのか・・、
人間、本当に何があるかわかりません。
明日、どころか、これを書いてる最中にも。です。
今回、実感しました。
私の“今”はこんな感じです。

『今を生きる』、「今、生きている」から感じらることで、
同時に切実に“死”を受け入れてなければ、“今”を切実に実感できない。

“死”は怖がろうが、逃げようが、必ずやって来ます。
“生”もまた、嫌がろうが、・・だと思います。

sugimotomさんの記事に書かれている事と、私の差異は、
「死の恐怖」があるのか・無いのか、の違いでは?
と思ったからです。
あるのか・無いのか。ではなく、恐怖が大きいか・小さいか。ですね。(失礼)

#sugimotomさん、ご自信の「死の恐怖」を私が言っている訳ではないですよ。
#あくまで、記事に書かれた『今を生きる』について。です。
#sugimotomさんのブログは、そういうブログだと個人的に思っています。

でないと、『今を生きる』という命題もない訳で。


それを、知らぬうちに、sugimotomさん にお聞きしてしまったのかなぁ?と。

なんだか、sugimotomさんのブログに、
喧嘩を売っているような事になってしまい・・。
そんな気は、本当にないんですが。

今回、入院して、初めて皆さんがお持ちの“死の恐怖”の大きさと
自分の希薄さがわかりました。

#「希薄」という言葉がネガティブになってしまったのかなぁ?
#と反省しています。

それを、sugimotomさんの言葉につられて、後先考えず、確かめてしまった。
のかなぁ?と。 バカですから、お許しくださいませ。

お気を悪くされましたら、すみません。
って、お気を悪くされますよね。 普通。
申し訳ありませんでした。

#本当に、たまにコメントすると、これですから・・。
#でも、sugimotomさんのブログ、
#すーっと通り過ぎていけるブログじゃなかったんです。
#これだけは、ご理解くださいませ。

#ちなみに、私も大学は工学部です。
#上手く言えませんが、sugimotomさんも理系の方かなぁ?
#が初めてブログを拝見した時の印象でした。
#で、・・、こんな愚行に。です。
#ホント、バカですね。<(_ _)>
#遅ればせながら、少し自分を晒したブログをはじめました。
#出来るだけ知られたくなかったので・・。
#先のコメントでは、URL記入しませんでした。

Re: 命題・・・、

coosouanさん、はじめまして。
コメントありがとうございました。


つい最近、生死を彷徨うような大変な経験をされたんですね。後遺症が心配です。苦痛を伴って生きておられるのでしょうか?そうでなければいいのですが。


死の瀬戸際を体験された方に、相手を特定しないでつぶやいている私の個人的な考え方が棘を刺してしまったら怖いのですが、coosouanさんが思い切って投稿してくれた大切なコメントなので、尻込みせずに誠意を込めて言わせてもらおうと思います。

もし不適切な表現が見られたらご指摘下さいね。


「今を生きる」とは「“生きる”ことが“当たり前”の状態」

と思ったというご意見をどうもありがとうございました。

死の瀬戸際から生還された方の言葉です。
きっと、健常者からは想像できない深い意味を持っているのだと思います。



表現や見る角度の違いがあるだけで、ひょっとしたら同じ本質を見つめているのかも知れないですが、coosouanさんの考えと私の考えが違うのか同じなのか、今のところわかりません。


なので、相違かどうかの話をは置いておいて、思うところを書いてみますね。



> でも、未だに“生”への執着心は希薄です。 ・・・

自分では生きることに執着しているつもりはないのに、死の淵から呼び戻された。
それは自分では計り知れない意思が働いた結果なのだろうか?
だとしたら、その大いなる意思は自分に何をさせたいのだろうか?
何のために命を与えられたのだろうか?

そういう疑問が湧いてきてしまうんですね?

でもそういう難しい命題を抱えてしまった一方で、日常の多事に当たり前のように毎日が過ぎていく。
「これって何?」「どういうこと?」というもやもやした思いも心の隅に引っ掛かっている。

そんな中で、自分で確かに分かることは「今、生きている」ってことだけ。


coosouanさんの置かれている状況を、そんなふうに感じました。
・・・なんか、どの思いもとても分かるような気がしました。



「生きる」という意味には、少なくとも2つあると思います。

1つは、肉体の生体反応として生きている状態。(ここでは仮に肉体生命と呼びましょう)

もう1つは、認知・感情・思考などの活動として生きている状態。(ここでは仮に精神生命と呼びましょう)

健康な時には、この肉体生命と精神生命の2つの営みが同時に行なわれていますよね。


「“生”への執着心が希薄」と感じるのは精神生命の方だと思います。

肉体生命は生きるエナジーを保持していたから、彷徨った生死の境で「生」の方を手放さなかったんだと思います。


そして、今回から書き始めた「今を生きる」では、精神生命の方の「生きる」がテーマとなっていたんですね。

(言葉足らずだったところををcoosouanさんのコメントがきっかけで補うことができました。ありがとうございます。<(_ _)>)


さて、coosouanさんの気持ちの中に私の関心を特に引く部分がありました。

それは「“生きる”ことが“当たり前”の状態」が今を生きることだとしたら、なぜ「でも、未だに“生”への執着心は希薄」なんだろうなぁって感じたんです。

もし“生”への執着があまり無い状態で死んだら、その時は満足して死んだことになるのかなぁ、どうかなぁって思ったんです。

ただ、満足して死ぬことに価値を感じない人なら、生への執着を感じないまま死んでいくことも否定しないように思うので、それはそれで1つの生き方として認めたいと思っていますが。(^^)


生きることに執着しないってことは、確かに肉体生命は生きてはいるのだけれど、「今を」「生きる」という意思があまり感じられないような、つまり精神生命的にはエナジーが弱い状態なんじゃないかなと思えてしまうのですが、そんなことありませんか?


「今を生きる」にはその為のエナジー(「気力」と言ってもいいかな)が必要です。そのエナジーを湧き立てるにはトリガ(動機)が必要です。

今回の話題は、前向きに「今を生きたい」と思っているのにどうすればいいか迷われている方たちに、そのエナジーを沸き立たせるヒントを伝えられたらいいなと思って書き始めました。


そこでなんですが、coosouanさん。
あなたが確かだと思っている「今、生きている」というところなんですが、肉体生命も精神生命も十分に「今、生きている」かどうか、ちょっとセルフチェックしてみていただけませんか?


以上、『と、今、コメントを書きながら考えています。(自嘲)』ということなので、coosouanさんが考える参考になればと思い、一緒に考えさせてもらってみました。(^^)

coosouanさんのことは、全くと言っていいほど知らないくせに、いただいた文面だけを頼りに返信してしまいました。
誤解している部分があるのではないかと心配です。


その心配を上塗りするからやめておいた方がいいのに蛇足します。(^_^)-c<^_^;)

生への執着をしない人の中には、死ぬことが怖い裏返しで執着心を棄てることで死への恐怖を和らげようとしている人がいると思います。

でも死は必ず来るものなので、できれば恐れずに受け入れる気持ちになることで克服してもらいたいと思います。

「病は気から」という格言があります。
生への執着心は生きるエナジーを高める効果があると思います。だから、生へは執着して欲しいです。

coosouanさんはまだ若いので、なおさら執着して欲しいんだけどなぁ・・・(;¬_¬)

生へ執着しつつも死の恐怖から解放されるための持論は、いつか機会が有れば触れたいと思います。σ(^o^)


蛇足も含め、失礼があったらお許し下さいね。(,,-_-)

なお、第2話以降を書く時に、coosouanさんのくれたこのコメントも意識するようにしてみます。



> ・・・私に今生で何をさせようとしてるの?って考えたりで。

これ、今回の話題に入ってます。
避けて通れない部分ですね。次回書こうと思います。
coosouanさんに当てはまるかどうかわかりませんが、お楽しみに!


そして

> sugimotomさんのブログを覗くのが日課になり・・。(微笑)

どうもありがとうございます。嬉しいです。(*^_^*)



coosouanさんに限らず、私だって余命がどれくらいかわかりません。
でもそれが長かろうと短かろうと、能動的に今を生きて、いただいた命と時間をお互いに満喫しませんか?

もし「“生”への執着心」を育てていってくれたら嬉しいです。

「死ぬ値打ちもないから」生きているんだって言うのであれば、そんな値打ちはまだ要らないって言い返してあげて下さい。いただいた人生をまじめに全うした時に自然に値打ちが出ていますよ、きっと。ヽ(^^

命題・・・、

>でも一体どうしたら「今を生きる」ことになるのでしょうか?

“生きる”ことが“当たり前”(に、感じてる。考えてる。意識しない。)
な状態だと、私は今思っています。
#僭越で・・、すみません。

私も、この夏前にくも膜下出血で倒れて、
ちょっとだけですが、色々と、ない頭で考えさせらました。

でも、未だに“生”への執着心は希薄です。
 #自分で・・、などとは考えた事は一回もありませんが。(微笑)
女29歳にして、なにも持たない身であるからかなぁー。とか。(苦笑)

でもでも、神様か仏様かわからないのですが、
「お前は、(死ぬ値打ちもないから)生きろ!」
って言われたようで。(微笑)

私に今生で何をさせようとしてるの?って考えたりで。

生き返ってみると、日々時間軸の向こうから、
色々と対処しなければならない事が流れて来て・・、
知らず知らず、それらを こなして・・。

気が付けば、当たり前のように、
スケジュールを組んで、ご飯をいただき、笑い・・、
物思いに耽り・・、
sugimotomさんのブログを覗くのが日課になり・・。(微笑)

『でも一体どうしたら「今を生きる」ことになるのでしょうか?』
って命題に、また考え・・。

仕事のことが気になり、趣味の事が気になり、
周りの優し過ぎる人たちが気になり・・。

でも、明日のことは、分からないから訳で、
確かなのは、「今、生きている」ってことだけで。

と、今、コメントを書きながら考えています。(自嘲)

>(続きはまた今度・・・(^^)/ )

勇み足で、取り止めもない事を 長々と、すみません。<(_ _)>

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

sugimotom

Author:sugimotom
ようこそ!
職業は業務改革パートナー。余暇は篠笛や和太鼓の響きを楽しんで過ごしています。
そんな私の仕事のこと、趣味のこと、日々感じたことなど 徒然に書き留めています。

私も気が付けば半世紀もの月日を重ねてしまっていました。
飛び去るように過ぎて行く貴重な人生の合間に、ほんの少しだけ立ち止まって、さぁ深呼吸!

大切な今を思いっきり感じましょう。
    → → → プロフィール

最新記事
FC2カウンター
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
..
ブログパーツ アクセス解析
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。